イボ語

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イボ語
Ásụ̀sụ́ Ìgbò
発音 IPA: [ìɡ͡bò]
話される国 ナイジェリアの旗 ナイジェリア
赤道ギニアの旗 赤道ギニア
カメルーンの旗 カメルーン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
創案時期 2020
地域 ナイジェリア南東部
民族 イボ人
話者数 3000万人
言語系統
標準語
標準イボ語[1]
表記体系

ラテン文字 (Önwu alphabet)
ンシビディ文字

ンワグ・アネケ文字(英語)
イボ語点字(英語)
公的地位
公用語 ナイジェリアの旗 ナイジェリア
少数言語として
承認
赤道ギニア
カメルーン
[2]
統制機関 イボ言語文化促進協会(英語)(SPILC=Society for Promoting Igbo Language and Culture)
言語コード
ISO 639-1 ig
ISO 639-2 ibo
ISO 639-3 ibo
Glottolog nucl1417[3]
Linguasphere 98-GAA-a
ナイジェリアとカメルーンの言語分布図(イボ語圏は中央下部「Igbo」の部分)[注 1]
 
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イボ語英語: [ˈb] イボご、あるいはイグボ語(イグボごアメリカ: [ˈɪɡb][4][5][注 2]Ásụ̀sụ́ Ìgbò [ásʊ̀sʊ̀ ìɡ͡bò] ( 音声ファイル))はニジェール・コンゴ語族言語ナイジェリア連邦共和国では南東部のイボ人を中心に約1800万人が使っている。

イボ語は声調言語であり、ラテン文字表記を用いる。イボ語はジョン・ゴールドスミスによる当時の音韻論の研究対象として扱われた。

標準的な文語体〈一般イボ語〉(Igbo Izugbe)が開発され、後に1972年頃に公式に採用された。コアはオウェリ英語版(Isuama)、Anambra(アウカ)、ウムアヒア(Ohuhu)の諸方言によって基盤を築き、これらの鼻音化有気音を除去した[要出典]

方言[編集]

イボ語には多くの方言があり、必ずしも相互に通じるわけではない。チヌア・アチェベが『崩れゆく絆』で使ったイデミリ方言[7]の他、イボ諸語としてイカ語(Ika)、オウェリ、ングワ・ウクアニ語(Ngwa Ukwuani)およびオバ語(Ogba[8]、ウムアヒア、ンネウィ、オニチャ、アウカ、アブリバ、アロチュク、ンスッカ、ムバイセ、オハフィア(英語)ワワ(英語)、オキグワなど30の方言がある。

オウェリとウムアヒアの集落を含むナイジェリア東部の中央イボ県(当時)の方言を纏め(まとめ)、1939年アイダ・C・ウォード英語版により中央イボ語として提案されると、その地で学校、作家、出版社などに徐々に受け入れられていく。1972年には中央イボ語を帝国主義の道具とみた民族主義者がイボ言語文化促進協会 (SPILC) を構成し標準化委員会を立ち上げると、中央イボ語を他の方言と統合し借用語も含めた標準イボ語にしようと努めた[1][9]

方言の多様さから正書法を決める合意はとても困難だった。1962年に定められた現行のオヌゥ正書法はレプシウスによる書記法と国際アフリカ学会英語版(IAI)による正書法の折衷である。

1999年にチヌア・アチェベは標準イボ語やその原型となった統一イボ語も中央イボ語も、イボ語の豊かさを植民地主義により、あるいは保守的に抑圧したと糾弾した。それを例証するため、ローマ・カトリック教会の設けた講演会(開催地オウェリ)でアチェベはオニチャ方言で自説を発表し、聴衆の半数以上が内容を聴き取れなかった[10][11]

歴史[編集]

イボ語の語彙をまとめた最初の出版物は1777年発行の(仮題)『カリブ海における福音派宣教師のミッションの歴史』(ドイツ語: Geschichte der Mission der Evangelischen Brüder auf den Carabischen Inseln)であった[9]。ついで1789年には元奴隷のオウラダ・イクアーノ(Olaudah Equiano)という人物がイギリスのロンドンで(仮題)『オラウダ・イクアーノの興味深い人生譚』(英: The Interesting Narrative of the Life of Olaudah Equiano)という自伝を記し、イボ語の言葉79語を紹介した[9]。同書には、著者の故郷エサカで体験したイボ人の暮らしのさまざまな側面も詳しく述べてある[12]。やがてイギリスがニジェール川流域の植民地拡大を図ると(1854年から1857年)、ヨルバ人の宗教者サミュエル・ジャイ・クローザー(Samuel Ajayi Crowther)がイボ人の若い通訳サイモン・ジョナスを雇ってイボ語入門書を著した(1857年[13])。

聖公会の布教活動において統一イボ語版聖書(1916年)を用いて言語の標準化が進められた[要出典]。編纂にあたったトマス・ジョン・デニス(Thomas John Dennis)は原稿を書き上げてまもなく、ウェールズ沖の海難事故で落命し、草稿は岸に流れ着き伝世したという[要出典]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ イボ語話者はナイジェリア東南部、コギ、ベヌエ、赤道ギニア、カメルーン、ハイチバルバドスベリーズトリニダード・トバゴにも分布する。またジャマイカ・クレオール語の語彙の多くはイボ語由来である。
  2. ^ 欧文のつづりはEE-bohとも[6]

出典[編集]

  1. ^ a b Heusing 1999, p. 3
  2. ^ World Directory of Minorities and Indigenous Peoples - Equatorial Guinea : Overview [世界の少数民族と先住民の台帳 – 赤道ギニアの概要]” (英語). UNHCR (2008年5月20日). 2013年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月18日閲覧。
  3. ^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Igbo”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History. http://glottolog.org/resource/languoid/id/nucl1417 
  4. ^ Igbo”. en:Collins English Dictionary. en:HarperCollins. 2019年7月25日閲覧。
  5. ^ "Ibo". Merriam-Webster Dictionary. 2019年7月25日閲覧
  6. ^ "Igbo". Oxford Dictionaries. オックスフォード大学出版局. 2019年7月25日閲覧
  7. ^ CIDJAP 2009, 「『崩れゆく絆』発表50周年記念美術展」
  8. ^ Ọgba Language Committee (2013年8月11日). “A DICTIONARY OF ỌGBÀ, AN IGBOID LANGUAGE OF SOUTHERN NIGERIA” (英語). www.rogerblench.info. Roger Blench, Kay Williamson Educational Foundation, Cambridge, UK. p. 3. 2016年4月21日閲覧。
  9. ^ a b c Oraka 1983, p. 21
  10. ^ チヌア・アチェベTomorrow is Uncertain: Today is Soon Enough. Frances W. Pritchett(翻訳)、1999年
  11. ^ A History of the Igbo Language compiled by Frances W. Pritchett.
  12. ^ Equiano 1789, p. 9
  13. ^ Oluniyi 2017, pp. 132-

参考文献[編集]

本文の典拠、主な執筆者名順。

洋書

姓のアルファベット順。

崩れゆく絆(チヌア・アチェベ著)

ウェブ上で閲覧できる資料は次のとおり。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

(英語)