ダラーラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダラーラ・アウトモビリ
Dallara Automobili S.p.A.
ヴァラーノ・デ・メレガーリにある本社屋
ヴァラーノ・デ・メレガーリにある本社屋
種類 Società per Azioni(S.p.A.)
略称 ダラーラ(dallara)
本社所在地 イタリアの旗 イタリア
エミリア=ロマーニャ州パルマ県ヴァラーノ・デ・メレガーリ
設立 1972年
業種
事業内容
代表者 ジャンパオロ・ダラーラ(創業者)
関係する人物
外部リンク https://www.dallara.it/en
テンプレートを表示

ダラーラ・アウトモビリ S.p.A.(Dallara Automobili S.p.A.)は、イタリアパルマ県を本拠とする自動車メーカーおよび、レーシングカーコンストラクター。1972年に設立。創業者はジャンパオロ・ダラーラ

概要[編集]

創業者ジャンパオロ・ダラーラ

イタリア出身の自動車技術者 ジャンパオロ・ダラーラ(Giampaolo Dallara)が、フェラーリマセラティランボルギーニデ・トマソにて自動車設計を歴任した後、1972年に自ら起業して生まれ故郷に「ダラーラ・アウトモビリ」を設立[1]

1978年よりF3シャーシの量販コンストラクターとして参入。早くから風洞実験施設やカーボン成型設備などへの投資を行い、イタリア国内からヨーロッパ各国、世界各地のF3シリーズへと進出。マーチラルトローラレイナードなどの競合メーカーが消滅していく中でシェアを拡大し、2000年代以降は世界のF3の大半が同社のワンメイクと言っても過言ではない状態が続いており、F2以上のカテゴリもF1を除きダラーラの独占状態となっている。

米国インディアナ州にあるダラーラ社インディカー・ファクトリー

F1においては単独でのワークス参戦を行わず、F1チームとの提携という形でマシンを開発・提供している。

シャシーの命名方法においては、多くのコンストラクターが自社の中で法則を持たせているのに対し、ダラーラはそれぞれのカテゴリに合わせて専用の名前を設定するのが特徴である。

2017年より、初の自社製市販車「ダラーラ・ストラダーレ」の販売を開始した。

車体供給先のシリーズ[編集]

など

このうちGP2→FIA F2、ワールドシリーズ・バイ・ルノー、インディカー・シリーズ、インディ・プロシリーズ、スーパーフォーミュラ、スーパーフォーミュラ・ライツは、運営によってダラーラのワンメイクシャシーが指定されている。

2010年代以降の旧F3ではダラーラが圧倒的なシェアを占めており、全日本F3ユーロF3では事実上のワンメイクとなっている。過去には童夢(全日本)、ローラ(ユーロ)、ラルト(イギリス)、トムス(イギリス・全日本)、ライトスピード(en:Litespeed F3イギリスF3)などもライバルとして対峙したが、ことごとく打ち破っている。

インディカー・シリーズではライバルメーカーとしてパノスがあったが、2006年シーズン中盤以降ほぼダラーラのワンメイク状態になり、2012年シーズンからはシャシーの変更に伴い完全なダラーラのワンメイクである[2]

2010年からスタートしたGP3にもシャーシを供給[3]。2019年、旧F3とGP3は統合となったが、引き続きダラーラ製シャシーのワンメイクシリーズとなっている。

2014年、日本のスーパーフォーミュラにも専用シャシーとしてSF14[4]2019年からはSF19の供給を開始[5]

2014/15シーズンよりスタートしたフォーミュラEにおいても、専用のシャシー供給を担当する。

その手広さにおいて、現代フォーミュラでダラーラの関わっていないカテゴリを探すのは困難なほどである[6]

フォーミュラ1カー車体製造[編集]

F1においてもダラーラはマシンの製造に携わってきたが、1992年を最後にF1でのレースから退いていた。ただし、その後もホンダミッドランドとの関係もあったために幾度となくダラーラがF1へ復帰するという話題が上った。2010年よりヒスパニア・レーシング・F1チームとの技術提携によりF1マシンの製造を行った。これによりダラーラのマシンが18年振りにF1レースの桧舞台に返り咲いたことになる。

スクーデリア・イタリア[編集]

ダラーラ・BMS191

1988年スクーデリア・イタリアと提携する形で参入(- 1992年)。初戦となるブラジルGPではF1マシンの製作・供給が間に合わなかったので、前年に作られて使用されていたF3000用のマシンをF1用に改造を施した「F3087」で参戦した。しかも仮にトラブルなしで決勝を走ったとしても、F1の走行距離を走りきれるだけのガソリンタンク容量を持っていなかったため(当時のレギュレーションでは燃料の途中給油は不可であった)、完走は出来ないマシンであった。1989年カナダGPアンドレア・デ・チェザリス1991年サンマリノGPJ.J.レートがそれぞれ3位表彰台に上がった。1992年はフェラーリエンジンを搭載したマシン「ダラーラ・BMS192」を製作した。しかしエンジンの戦闘力不足に加えてシャーシの性能不足により良い成績を残すことが出来ず、チームは翌年のマシン製作契約を結ばなかった。

ホンダF1[編集]

その後は1998年まではF1の製作を行っていなかったが、1999年ホンダの第3期F1参戦に向けたテストシャーシ「RA099」の製造を担当した。設計はホンダが行い、ダラーラはあくまで製作のみを担当であったが、この経験がその後のダラーラの大躍進に繋がることになる。

MF1レーシング[編集]

2004年から2005年にかけてMF1レーシング(ミッドランド)と車体の共同開発を進めるものの、2005年半ばには計画が頓挫した。

ヒスパニア・レーシング[編集]

ヒスパニア・F110

2009年より、2010年のF1選手権に新規参戦を目指していたカンポス・グランプリと技術提携で合意をした[7]。マシンの製造を行っていたが当時のチームオーナーであったエイドリアン・カンポスが予定していたよりも資金調達が難航して資金不足に陥ったためにダラーラ側へ約束していた支払いを滞納させてしまった。そのために一時的に製造を止めていたがホセ・ラモン・カラバンテがチームを買収して「ヒスパニア・レーシング・F1チーム」として再建を果たし、滞納していた支払いもダラーラ側へ支払われ、マシン製造は再開された。それにより開幕戦バーレーンGPまでに製造は急ピッチで行われ、開幕直前の3月4日の発表会にF1マシン「F110」がお披露目された。開幕戦こそ両ドライバーリタイアに終わったものの、第2戦オーストラリアGPではカルン・チャンドックが14位で完走を果たした。その後も完走を続けたものの、ヒスパニア・レーシング側が求めるような満足した結果がなかったなどの諸々の問題もあって5月26日に契約解消されたことが正式にリリースされた[8]。ただし、2010年シーズンについては現行通りF110でレース参戦した。

ハースF1チーム[編集]

ハース・VF-16

2016年からF1に参戦するハースF1チームのシャシー制作をダラーラが請け負う。2015年から制作開始 [9]。ハース側はフェラーリと技術提携や風洞施設の利用提携を結び、それを活かした上で制作された。

耐久レーシングカー車体供給[編集]

耐久レーススポーツカーの供給としてのダラーラも広く活躍している。1980年代初め頃からダラーラは、ランチア・LC1(グループ6・プロトタイプ)、LC2グループCカー)等の製作を担当した。その後、1993年からWSCクラスというIMSA GT選手権の新カテゴリの為にフェラーリ・333SPのシャシー製作を担当した。この333SPの製造は、同社のフェラーリ・F40などと同じイタリアの工場で行われ、1994年に登場し北米とヨーロッパの両方のレースで多くの勝利を獲得した。その後、フェラーリはダラーラに対してフェラーリ・F50のレースバージョンの開発を依頼するが、このプロジェクトは1998年に中止された。

これを契機にしてダラーラはレースに参加する他の自動車メーカーとの契約を確保した。主なシャシーとしてはトヨタ・GT-One TS020アウディ・R8アウディ・R10アウディ・R15ポルシェ・919ハイブリッドに関与し、そしてルマン・プロトタイプオレカクライスラー「SP1」を開発した。これら多くの車はプロトタイプスポーツカーレースにおいて競争力をもち、特にアウディ・R8においては、ル・マン24時間レースにおいて支配的なシャーシとなり、アメリカン・ル・マン・シリーズ等でも大いに活躍した。2008年からはグランダム・シリーズの、デイトナ・プロトタイプDP01」を開発した。

上記の通り、アメリカ国内においても非常に支持が高いシャシーコンストラクター (車体製造者) であり、特に耐久レースにおいては最も成功しているシャシーコンストラクターの1つといっても過言ではない。

2017年にはLMP2シャーシ『P217』の供給を開始。IMSAのUSCC(ユナイテッド・スポーツカー選手権)では新規定のDPiに合わせてキャデラックとジョイントし、P217をベースとした『キャデラック・DPi-V.R』を開発。規定初年度にデイトナ24時間セブリング12時間・選手権を制覇し、2018年もデイトナと選手権を連覇する圧倒的な活躍を見せている。

2023年からは、ウェザーテック・スポーツカー選手権に新設されるGTP(LMDh)クラスにシャシーを供給しており、同年現在BMWM Hybrid V8)とキャデラックVシリーズ.R)の2社がダラーラ製シャシーを採用している。なお両社とのマシン開発は、同一のモノコックを使用するという点を除いて完全に別個のプロジェクトとして進められており、プロジェクト相互間での情報共有も一切行っていない[10]

その他[編集]

ラリーカー
WRC(世界ラリー選手権)の黎明期を象徴するグループ4マシンのランチア・ストラトスと、史上最後に二輪駆動車としてタイトルを獲得したグループBマシンのランチア・ラリー037のシャシーは、公道・競技両仕様ともにダラーラが設計に深く関わったものである。
F3000
1987年に「ダラーラ・3087」を国際F3000選手権向けに供給。この年が参戦初年度だったフォルティ・コルセと、ユーロベンチュリーニの2チームが使用したが、後者所属のマルコ・アピチェラが一度だけ5位入賞を果たしたに留まり、満足な結果は残せなかった。このマシンが前述のF1初戦に投入されることになる。
スポーツカー
2017年には、同社初となるロードゴーイングカーとして「ダラーラ・ストラダーレ」を発表した。2016年に創業者のジャンパオロ・ダラーラが80歳を迎えることを記念して開発がスタートし、本人の集大成としてプロデュース、5年間で600台が限定生産される。開発ドライバーには上記のF3000でも関わりのあったマルコ・アピチェラや[11]、イタリアの著名な開発ドライバー ロリス・ビコッキらを起用した[12]
その他
上記の他に自動車メーカーからの依頼で車体の開発・制作を行った例としては、マセラティ・MC12も挙げられる。このMC12もGTレース用のシャシーとして開発された。またKTMの2人乗りスポーツカーであるクロスボウ (X-Bow)の開発協力、フェラーリ・F50フェラーリ・エンツォアルファロメオ・4Cブガッティ・ヴェイロンブガッティ・シロンのカーボンモノコックの製造などにも携わっている。

脚注[編集]

  1. ^ Giampaolo Dallaraプロフィール”. ダラーラ・アウトモビリS.p.A. 2020年6月1日閲覧。
  2. ^ 他のメーカーは、2013年より"エアロパーツ開発"というかたちで参戦する。
  3. ^ “Dallara to supply GP3 chassis in 2010”. racecar-engineering.com. (2009年5月4日). http://www.racecar-engineering.com/news/cars/339980/dallara-to-supply-gp3-chassis-in-2010.html 2009年6月13日閲覧。 
  4. ^ JRP、2014年からの新シャシーをダラーラに決定 - オートスポーツ・2012年9月22日
  5. ^ 来季マシン「SF19」国内初お披露目…雨の富士でテスト開始”. レスポンス (2018年7月4日). 2021年3月12日閲覧。
  6. ^ ダラーラ製を採用していない稀少な例としては、女性限定のWシリーズ、各国独自規定のリージョナルF3や日本独自規定のJAF-F4などがある
  7. ^ “カンポス・グランプリとは”. F1-Gate.com. (2009年6月13日). http://f1-gate.com/campos/f1_3849.html 2009年6月13日閲覧。 
  8. ^ “ヒスパニア・レーシング、ダラーラとの提携解消を正式発表”. F1-Gate.com. (2010年5月26日). http://f1-gate.com/hispania/f1_7690.html 2010年5月26日閲覧。 
  9. ^ “ハース、ダラーラと2016年F1マシンの作業を開始”. F1-Gate.com. (2015年1月23日). http://f1-gate.com/haas/f1_26102.html 2015年1月23日閲覧。 
  10. ^ BMWとキャデラックにLMDhシャシー供給のダラーラ、完全分離の“厳戒態勢”で開発進める。さらなる受注も視野に - オートスポーツ・2021年9月28日
  11. ^ 【独占レポート】ダラーラが放つ”本物のリアルスーパースポーツカー”に初試乗! - モーターファン・2018年5月7日
  12. ^ マニア垂涎のスーパーカー、「ダラーラ・ストラダーレ」とはどんなクルマか?”. LEON - 主婦と生活社 (2020年8月5日). 2020年11月20日閲覧。

外部リンク[編集]