チャールズ・スペンサー (第3代マールバラ公)

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第3代マールバラ公爵
チャールズ・スペンサー
Charles Spencer
3rd Duke of Marlborough
生年月日 1706年11月22日
没年月日 (1758-10-20) 1758年10月20日(51歳没)
出身校 イートン校
所属政党 ホイッグ党
称号 第3代マールバラ公爵、第5代サンダーランド伯爵ガーター勲章士(KG)、王立協会フェロー(FRS)、枢密顧問官(PC)

内閣 ニューカッスル公爵内閣
在任期間 1755年 - 1755年

内閣 ペラム内閣
ニューカッスル公爵内閣
在任期間 1749年 - 1755年
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第3代マールバラ公爵および第5代サンダーランド伯爵チャールズ・スペンサー: Charles Spencer, 3rd Duke of Marlborough, 5th Earl of Sunderland, KG, PC1706年11月22日 - 1758年10月20日)は、イギリスの貴族・政治家・軍人。

1729年に兄よりサンダーランド伯爵位、1733年に母方の伯母よりマールバラ公爵位を継承した。

経歴[編集]

第3代サンダーランド伯爵チャールズ・スペンサーと妻アン・チャーチル(初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルサラ・ジェニングスの三女)の次男として生まれた[1]

1722年にイートン校を卒業した[1]。第4代サンダーランド伯爵位を継いでいた兄ロバートが子のないまま亡くなったため、1729年に第5代サンダーランド伯爵となった。さらに1733年、母方の伯母である第2代マールバラ公爵夫人ヘンリエッタ(彼女の息子は既に先立っていた)の死によりマールバラ公爵位も継承した[2][3]

1738年には第38歩兵連隊の大佐となる[1]。1743年に少将に昇進[1]。1743年にはデッティンゲンの戦いに近衛歩兵旅団の指揮官として参加し、可もなく不可もなく任務をこなした[2]

政界ではホイッグ党に所属し、1738年から1743年にかけては王室寝室長官英語版を務める[1]。1749年から1755年にかけては王室家政長官英語版を務めた[1]1755年王璽尚書軍需長官英語版に任じられ[1][2]七年戦争初期にヨーロッパ大陸で遠征軍を率いたが、遠征中の1758年にドイツにおいて赤痢で死亡した[2]

爵位は息子のジョージが継承した[4]

甥のジョンホイッグ党の政治家として活動、後にスペンサー伯爵家の祖となった。

栄典[編集]

少年時代のチャールズ・スペンサー。ジョン・ヴァンダーバンク

爵位[編集]

勲章[編集]

家族[編集]

妻は第2代トレヴァー男爵トマス・トレヴァーの娘エリザベスで、彼女との間に5人の子を儲けた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Lundy, Darryl. “Lt.-Gen. Charles Spencer, 3rd Duke of Marlborough” (英語). thepeerage.com. 2014年3月16日閲覧。
  2. ^ a b c d ペイン(1993) p.24
  3. ^ 森(1987) p.257
  4. ^ ペイン(1993) p.25

参考文献[編集]

  • ロバート・ペイン英語版 著、佐藤亮一 訳『チャーチル』法政大学出版局りぶらりあ選書〉、1993年。ISBN 978-4588021466 
  • 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年。ISBN 978-4469240979 

関連項目[編集]

名誉職
先代
初代コバム子爵
バッキンガムシャー総督英語版
1739年 - 1758年
次代
第2代テンプル伯爵
先代
第2代ゴドルフィン伯爵
オックスフォードシャー総督英語版
1739年 - 1758年
次代
第4代マールバラ公爵
公職
先代
第3代デヴォンシャー公爵
グレートブリテン王国の旗 王室家政長官
1749年 - 1755年
次代
第3代ラトランド公爵
先代
初代ゴア伯爵
グレートブリテン王国の旗 王璽尚書
1755年
次代
第2代ゴア伯爵
イングランドの爵位
先代
ヘンリエッタ・チャーチル
第3代マールバラ公爵
1733年 - 1758年
次代
ジョージ・スペンサー
先代
ロバート・スペンサー
第5代サンダーランド伯爵
1729年 - 1758年