ポプラ

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ヤマナラシ属
ケンとメリーの木
セイヨウハコヤナギの樹形(北海道美瑛町の通称ケンとメリーの木
分類APG III
: 植物界 Plantae
階級なし : 被子植物 Angiosperms
階級なし : 真正双子葉類 Eudicots
: キントラノオ目 Malpighiales
: ヤナギ科 Salicaceae
: ヤマナラシ属 Populus
学名
Populus L.
タイプ種
Populus tremula L.
和名
ヤマナラシ属
英名
poplar
  • 本文参照

ポプラ(白楊、白楊樹 英語: poplar)は、真正双子葉類キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属またはハコヤナギ属(学名:Populus)に属する樹木(ハコヤナギはヤマナラシの別名)。

「ポプラ」とは、ラテン語の「人々、共同体、国民」などを意味するpopulus ポプルス に由来し、古代ローマでしばしば公共の集会所の周囲に植えられたからであるという[1]。北半球の温帯に約100種が分布する。

日本のポプラ属は、ヤマナラシドロノキの2種が自生する。一般には明治期に導入された外来種をポプラと呼ぶ。和名のポプラは、狭義にはこの属の一変種であるセイヨウハコヤナギを指す[2]

落葉広葉樹。葉は広三角形。雌雄異株で、春に花を咲かせる。花が終わるとすぐに綿毛付きの種子を大量に付ける。この種子が風に飛ばされて空を舞い、並木など多数のポプラのある所では、地面が真っ白になることもある。このため、英語でコットンウッドともいう。

成長が速い利点の反面、材は柔らかくて緻密さに欠け、燃えやすく強度や耐久性で劣り、用途が限られる。また寿命は比較的短く、数十年から100年程度で老木となり、台風などで倒れやすい。

分類[編集]

外来ポプラの和名は現在まで整理がなされていないため、同一種でも別名や別表記が多く、学術論文ですら混乱しており、植物園などの表記にも不統一なものが多い。以下の名称も統一名称ではない。

北海道大学のポプラ並木(札幌市)

YListに掲載された主な種・変種などを下記に記す[3]

ポプラは交配や繁殖が容易で、古くから品種改良が行われ、多くのハイブリッド種が作成されてきた。現在でも目的にあわせた品種の育成が行われ、ポプラの品種はいよいよ増えつつある。品種改良されたポプラは「改良ポプラ」と総称される。

利用[編集]

地面に舞うポプラの綿毛(札幌市)
  • 紅葉や美しい樹形が特徴的で、日本では、並木や街路樹、牧場の境界の目印や防風林として植えられる。著名な北海道大学のポプラ並木は明治36年に植えられた。
  • 材木は白色で柔らかく燃えやすいため、マッチの軸木として使われる。合板、包装用材、パルプ用材などにも用いられ、えのき茸の栽培にも適する。しかし日本では用材としての利用は多くなく、身近にはあまり見られない。日本では1960年代に植林を目指して実験が行われたが、病虫害や台風を克服できず、日本の自然環境下では大規模植林には適さないとされた。
  • 中国の内陸部では成長が早く活着が良いことに着目し、1950年代以降大規模な植林が行われている。多くは成長に水分を多く要するようになる樹齢20年以前を目安に伐採され、用材は地域の貴重な現金収入となっている。
  • 韓国では植林に成長の早いポプラの木がニセアカシアの木とともに多く植えられる。
  • ポプラは、その商業的価値の高さやゲノムサイズの小ささ (450–550 Mbp) から、モデル生物として研究が進んでいる[5]。2006年にはPopulus trichocarpa のゲノムが解読された[6]
  • エレキギターのボディ材として 用いられることがある。特性としてはアルダーに近く、代替品として初心者用モデルに採用されることが多い。

人間との関係[編集]

  • 2005年6月にドイツで行われたFIFAコンフェデレーションズカップでは、大量のポプラの綿毛が試合会場で乱舞する様子がテレビでも映し出された。ドイツではこの綿毛がアレルギー性鼻炎の原因になることもある。
  • ロシアでは「トーポリ」と呼ばれている。第二次世界大戦後に緑化のために大量に植えられた。時期になると綿毛を大量に撒き散らすので、大変迷惑ではあるが、ロシアと切離しがたい風物詩ともなっている。
  • 強風の吹かないヨーロッパ原産のイタリアポプラは台風に弱く、風で根ごと倒れることがある。2004年平成16年台風第18号に襲われた北海道大学のポプラ並木は、半分ほども暴風で倒れてしまった。倒木からチェンバロが造られ、同大に展示されている。
  • 1976年8月18日、韓国北朝鮮板門店で、視界の妨げとなるポプラの木を切ろうとしたアメリカ軍工兵と北朝鮮軍兵士が乱闘となり、米軍将校2名が伐採用の斧で殺害された。この事件はポプラ事件と呼ばれ、第二次朝鮮戦争にも発展しかねない衝突だった。

脚注[編集]

参考文献[編集]