ラスコー洞窟

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ラスコー洞窟の壁画

ラスコー洞窟(ラスコーどうくつ、: Grotte de Lascaux)は、フランスの西南部ドルドーニュ県ヴェゼール渓谷英語版フランス語版モンティニャック英語版フランス語版の南東の丘の上に位置する洞窟である。先史時代とされるオーリニャック文化洞窟壁画で有名である。

概要[編集]

ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代、フランコ・カンタブリア美術英語版の美術作品である。これは1940年9月12日、モンティニャック村の少年が、穴に落ちた飼い犬を友達3人と救出した際に発見された[1][2]

洞窟の全長は200メートル程度[3]。地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある[注釈 1]。洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは20,000年前の後期旧石器時代クロマニョン人によって描かれていた。炭酸カルシウム形成が壁画の保存効果を高めた「天然のフレスコ画」と言うことができる[5]

ラスコー洞窟壁画[編集]

材料として、赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。この壁画には、古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてある。絵画の空間としてはあまり意識せずに描いてある。

無数の壁画がある内の1つ、黒い牛の絵の角に遠近法が用いられている。手前の角が長く描かれ、奥の角は手前の角より短く描かれている。そのほかの人・動物にも、遠近法が用いられている。

洞窟の公開[編集]

ラスコー洞窟の入口

1948年7月14日、洞窟は一般公開された[6]。かつては大勢の観客を洞窟内に受け入れていた[6]が、観客の吐く二酸化炭素により壁画が急速に劣化したため、1963年以降から、壁画の外傷と損傷を防ぐため、洞窟は閉鎖された。現在は壁画修復が進む一方、1日に数名の研究者らに応募させ入場・鑑賞させているほかは、ラスコーの壁画は1963年4月20日[7]に非公開とされている。[8]

オリジナルの洞窟の近くにレプリカの洞窟「ラスコー2」が1983年に作られており、こちらは一般見学が可能である[9]。この他、遠隔地での展示が可能な「ラスコー3」が作られている[9]。さらには2016年12月には新たなレプリカ洞窟「ラスコー4」がオープンした[10]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 洞窟は7つの空間に分かれ、それぞれ「牡牛の広間」「軸状ギャラリー」「通路」「後陣」「井戸状の空間」「身廊」「ネコ科の部屋」という名前が付けられている[4]

出典[編集]

  1. ^ ラスコー洞窟壁画展 17年春東北歴史博物館”. 河北新報社 (2015年5月19日). 2016年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月23日閲覧。
  2. ^ 世界遺産ラスコー展 2016-2017 毎日新聞社[要文献特定詳細情報]
  3. ^ クロマニョン人はただ者じゃない……世界遺産ラスコー展”. 世界遺産アカデミー. 2018年2月12日閲覧。
  4. ^ MMM 世界のアートとデザインを暮らしに”. メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド. 2018年2月17日閲覧。
  5. ^ 絵の具の特徴と種類”. 画材なび. 2019年4月12日閲覧。
  6. ^ a b 三浦 2008, p. 5.
  7. ^ 三浦 2008, p. 7.
  8. ^ Laurent Banguet (2011年6月28日). “20世紀の過ちを教訓に、ラスコー洞窟壁画保存のいま”. AFP. 2015年12月23日閲覧。
  9. ^ a b 旅いさら (2015年6月16日). “この夏、パリにいながらにして、ラスコー壁画を鑑賞しよう!”. Excite Japan Co., Ltd.. 2015年12月23日閲覧。
  10. ^ “ラスコー洞窟を忠実に再現、「ラスコー4」がオープン フランス”. AFPBB News. AFP通信 (モンティニャック/フランス). (2016年12月11日). https://www.afpbb.com/articles/-/3110959 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯45度02分57秒 東経1度10分34秒 / 北緯45.04917度 東経1.17611度 / 45.04917; 1.17611