自沈

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スカパ・フローで自沈した巡洋戦艦ヒンデンブルク(1919年)

自沈(じちん)は、船舶もしくは艦艇を、意図的に沈没させること。自沈処分海没処分と呼ばれることもある。

商船においても本国政府から捕獲の危険が迫った場合には自沈するよう指示され、船長の命令で自沈が実行されたことがある[1]

概要[編集]

主に作戦行動の継続困難に陥った軍艦に対して機密保持、捕獲防止などを目的として味方の手により行われる。除籍後に演習における実弾訓練の洋上標的とされた後、自沈処分される例もある。

また、港湾等防衛戦の折、敵艦船・揚陸艇などの湾内侵入・上陸を防ぐため、湾口等に予め味方艦艇を多数自沈させ、水面下にバリケードを作る目的で行われることがある。この場合、輸送船や旧式軍艦を自沈させる場合が多い。なおこれを攻勢作戦(敵の軍港の能力を奪いに行く)として用いた例に、日露戦争での旅順港閉塞作戦第一次世界大戦でのゼーブルッヘ閉塞作戦第二次世界大戦サン・ナゼール強襲などがある。少し変わった例としては中東戦争でエジプトがスエズ運河を通行不能にするために商船を沈めたケースや、日中戦争で中華民国が日本軍の揚子江遡航を阻止するため当時保有する大型艦ほぼ全てを自沈させたケースなどもある。

民間の船舶の場合、かつては火災等により大きく損傷した船舶を曳行、修理する費用が割に合わないとして、事故地点が外洋の場合は自沈させる例があった。これらは保険の適用審査が厳格になるに従って行われなくなっていった。外洋の航路上で航行不能になった船舶を、漂流による二次災害(他の船舶への衝突事故や、漂流した後の座礁)を防ぐために自沈させた、という事例も存在する。

廃用船舶の処分法の一つとして、船体を人工漁礁として利用するために行われた例も多いが、漁礁化のための自沈は、近年では海洋汚染防止や鉄鋼資源の有効活用の観点もあり、実行された例は少ない。観光ダイビングのために中小型船を沈めることもある[2]

犯罪組織もしくは密航組織がそれらの目的にもちいた船舶を証拠隠滅のために自沈させる例は多く、カリブ海沿岸では麻薬戦争に関連して、洋上からの麻薬密輸に用いられた船艇が自沈させられた後に発見される事件が多数発生している。中には、麻薬組織が自作した潜水艇が自沈後に発見された例もあった。

軍事における自沈の例[編集]

集団自沈[編集]

軍港に追い詰められた艦隊が進退窮まって集団自沈した事例としては、米西戦争時のサンチャゴ・デ・クーバのスペイン艦隊や日露戦争時の旅順のロシア艦隊が挙げられる。

艦隊規模の自沈として史上最大級なのが第一次世界大戦後の1919年6月21日に発生したドイツ艦隊によるものである。イギリスのスカパ・フローに抑留されていたドイツ艦隊が、イギリスによる接収と戦勝各国への賠償としての分配を避けるために、一斉に自沈した。接収を避けるための類似例として第二次世界大戦中の1942年11月27日にフランス艦隊トゥーロンで、1943年8月29日にデンマーク艦隊コペンハーゲンで、それぞれドイツ軍による接収を避けるために自沈したことがある。なおドイツ海軍も1945年4月~5月の終末期に残存艦の多くが自沈した。

1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦では、港の無い海岸地帯に迅速に補給体制を確立するため旧式艦船を自沈させて即席の防波堤にした。これによって守られた水域は「グースベリー」と呼ばれた。なお、現役を退いた艦船を沈めて防波堤にする事例は多数ある。

1940年4月のナルヴィク海戦では、ドイツ海軍の駆逐艦が燃料と弾薬の欠乏に直面する最中に英艦隊に殴り込まれ、フィヨルドの中で集団自沈した。ドイツ海軍は二次にわたるこの戦いで当時保有する駆逐艦の半数近くを失った。

単艦の自沈[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 新谷 哲之介「<研究ノート>海上保険における戦争危険の実際」『損害保険研究』第74巻第3号、公益財団法人 損害保険事業総合研究所、2012年、99-152頁。 
  2. ^ グアムのアブラ湾には、沈船ダイビングのためにコンクリート製のタンカーが沈められている
  3. ^ https://iz.ru/1300364/2022-03-04/na-ukraine-podtopili-flagmanskii-korabl-getman-sagaidachnyi

関連項目[編集]